夜勤
夜勤前はいつも緊張してしまう。
夜勤が怖い。
もし利用者が熱を出したら、コロナ対応で隔離になるし、その為に隔離部屋の設置だとか、除菌だとか、上司と夜間やり取りしたり。
隔離部屋を作るのは大変だった。
夜勤は男性1人、女性1人しかいないので、
1人が利用者を見る係、もう片方が全部1人で隔離部屋を作ることになる。
重い7枚くらいの木の板を組み合わせて、飛沫防止のビニールカーテンで隙間を覆ったり、
木の板がとても重くて、持ち上げるのが本当に大変で、組み立てに1時間くらいかかったかも。
私より力持ちな、相手の男性職員がやった方が多分早かったと思うが…
男性職員はリーダーなので、熱を出した利用者の状況とか、上司に事細かく説明しなきゃいけない。
ずっと勤務携帯を持っていてずっと上司と電話していた。
そっちのが嫌だ。
私は上司を恐れているので、非常時に電話なんかしたくない。
上司も、熱を出した利用者がコロナじゃないか?
ってピリピリしているし、
男性職員も、電話で何回もすみません。すみません。って謝ってた。
1人で黙々と組み立て作業をしてる方がマシに決まってる。
利用者の発熱は、何回かあったが、
殆ど仮眠できなくて朝、倒れそうだった。
利用者が不穏になる場合も多い。
発熱よりも頻繁だ。
寝付けない利用者が、深夜「寝れへん〜」と職員に話しかけに来る。
「寝られなくても横になっていて」と伝える。
それが無理だったら、宿直室で職員と少し話をしたり、宿直室のベッドで横になってもらうのがマニュアルなのだけど…
大体は寝られない場合が多く、宿直室で職員が対応する。
利用者は宿直室のベッドで横になりながら、
わーっと大きな声を出したり、
突然起き上がると、壁を蹴ったり殴ったりすることもある。
ベッド脇の壁には大きな穴が空いている。
利用者が起きてくる午前1時辺りは、
職員の眠気のピークだ。
午前2時に仮眠休憩ができるので、
仮眠前の、最も眠い時にイライラされると
こっちだってイライラしてしまう。
イライラを通り越して泣きそうになる。
もうやだーって声に出してしまったこともあるし
「お願いだから寝てください」って、
半泣きで頼んだこともあった。
利用者には何にも響いてなかったけど。
深夜のイライラ対応は、何回もあったけど慣れていない。
深夜1時頃を想定して、そこに体力が1番ある状態に持って来れたら、多分耐えられるんだろうけど。
夜勤入りが昼の13:00なので、なかなか難しい。
利用者が起きてる昼間が1番バタバタしている。
プログラムで運動をやったり、入浴支援をしたり、無理しないというのが難しい。
体力の半分くらい、またはそれ以上を昼のうちに使ってしまう。私が入職して1年ちょっとだからか…
ベテランは、体力を残す方法をうまく心得てるんだろうな。
私の職場は夜勤が長い。
13:00に夜勤入りして、翌日10:00に明ける。
晩ご飯休憩1時間と、仮眠4時間は取れるし、
16時間夜勤ということか。
でもまぁ拘束時間の長いこと。
私は知ってて入ったわけだが、思った以上に辛かった。もっと想定しておくべきだった。
若いし大丈夫だろうとか思ってた。
ランニングとか好きだったし、そんなに体力が無いタイプじゃないと思ってたので、いけるだろって甘く見ていた。
実際若い私でも、朝は頭がガンガンするし、立ちくらみはするし、もう思考力が働いていない。
体力が限界だから、まともな判断が出来なくて
おかしな失敗をするし。
明けから退勤までがとにかくひどい。
朝食の検食は、頭が痛くて味を感じるどころじゃないし、食後の配薬でうっかり薬を床に落としそうになる。
もし落として、薬がそのまま見つからず、利用者が薬を飲めなかったら始末書沙汰になる
そんな責任重大な仕事を、明けの職員がやるべきではないのだが、人数の都合上、そうはいかず。
職員みんな、朝はバタバタしてるので、明け者だったとしても、「明けだから仕事を軽くしてあげる〜」みたいなことはしてる余裕無い。
「そういえば、あなた今日明けだったね。」
ぐらいの感覚だ。明けだから、どうということはないのだ。
すでに10時間以上働いていて、
体力も限界に近い残りの2時間くらいの状態だとしても。
明けの職員を特別甘やかしたりなんかしない。
当然なんだけど、私にはキャパがなくて辛い。
やっぱりこの仕事は向いていない。
夜勤が終わり家に帰ると、「時間が経てばちゃんと終わるんだ。」と思う。
出勤前は、一生帰って来れない気がしてしまう。
今日は夜勤だ。いつも通り変わらず憂鬱。
10月末に退職するので、残り後4回夜勤をする。
後4回頑張ろう!だとか、思えない。
ラスト1回の夜勤の日でも、きっと私は感慨深さとかは感じないと思う。
私は、今後一生夜勤をしないつもりなので、
10月29日が人生最後の夜勤になるだろう。
ラストワン賞のお姉さん
仕事終わりの夕方の電車の中で、真向かいのお姉さんが、大きなぬいぐるみを膝に抱えて座っていた。
直径50センチくらいはありそうだ。
かわいくて気になったので調べたら、ローソンの一番くじのラストワン賞になってるやつらしい。
ラストワン賞の物をゲットするなんて、
お姉さんすごいなと思った。
別に一発で当たった訳じゃなくて、何回かお金を使ってくじを引いて手に入れたとしても
それは財力だし、当てるまでの根気がいると思う。多分私は途中で諦める。
できる限りお金を使わないでラストワン賞にたどり着く為に、タイミングを粘ったり、
コンビニを何軒も回って、なるべく早くラストワン賞を狙えそうな店舗を探す必要もあるはずだ。
これらを頑張ったってチャンスが来ない場合も多そうだ。
お姉さんはスーツを着ていて、多分仕事帰りにコンビニに寄って手に入れたんだろう。
ゲットするまでに偶然の運命的なタイミングを掴んだんだな。
私は、強運と根気の持ち主(もしかして財力も?)を偶然見かけて、なんだか自分まで縁起が良くなりそうな気がしてきた。
まぁ都合が良すぎるけど。
私はスピリチュアルはあんまり好きではないし
前世の記憶が…みたいなやつは本気にしないけれど、
おみくじで大吉を引いた時や、ニュースの星座占いで順位が良いと、ちょっとだけ勇気が出る。
逆に悪い結果だと純粋に落ち込む。
避けられないような、避け方が思い浮かばないような、明らかにタイミングが悪かったなって事が怒ったり、ちょっとした嫌なことが連続したりすると
「今日最下位だったからか〜」
なんて思ったりする。
まぁ、今日の運勢程度なら、日中仕事でバタバタしてるうち、すっかり忘れてることが殆どだ。
だけどおみくじで凶を引いたとしたら、結構引きずりそうだ。
まだ引いた事はない。できるなら一生、凶なんて引きたくない。
(実は凶を引くのが怖くておみくじを引けなかった年もある)
お姉さんが自分と歳が近そうだから、自分にまで運が回ってきそう!って単純に思ったのかも。
明日いいことが少しでも起こったのなら、心の中でお姉さんありがとうって言おう。
高原に住みたい
将来、高原の一軒家で暮らしたい
小さい頃からずっと変わらない。
7歳の時の初めの長野旅行が発端だろう。
長野の蓼科高原を旅行した時の感動がずっと忘れられないんだと思う。
山といえば、私の住んでる家の近くにも岩屋観音という山があった。
山頂には観音様の像があったり、ちょっと遊べるアスレチックなんかもあった。
でもまぁ、道中は階段ばかりで景色が美しいとかでは全然なかった。
当時中学生で運動部だった兄が、体力作りに登ったりしてる様な山だった。
なので、長野の山々とは比べるものではない。
タイプが違う。
美しさで勝負する山ではないんだろう。
ゆっくり歩いても、1時間内で頂上の観音様の元まで行けてしまい、時間がかからないので、山と言えるのかと今では思う。
行基が岩屋観音を訪れた際、風景に魅了され
千手観音像を刻んだのが起源で、
岩屋観音は東海道を往来する旅人たちの信仰を集めたとか。
ちゃんと立派な歴史のある山だったんだね。
初めていま調べてちょっと感動したわ。
運動や、ハイキングにはいい山だと思うけど。
当時の私にとって「山」といえば、岩屋観音しかなかった。
なので日本のアルプスは、かなり衝撃的だった。
山のてっぺんに雪が積もってるのなんて、天然水(多分サントリー)のラベルでしか見たことなかった。
そんな山々がいくつも連なっていて只々圧倒されていた。
これが本当の「山」なんだな。じゃあ岩屋観音は偽物なんじゃないか?って思えてきた。
夜になったら星がすごく大きく、はっきり見えた。
星が瞬いているのを初めて見た。
そして、流れ星も初めて見た。
流れ星ってなんというか、この世に存在しない伝説っぽいものだと思ってた。
よく友達とシール交換する時の、かわいいシールには、流れ星のデザインがあったし、
当時使っていた自由帳だの、筆箱だの、女児向けの雑貨には必ずといっていいほどカラフルな流れ星のデザインがあった。
カラフルに書かれていたからこそ、流れ星を現実にあるものだと思わなかったんだろうか。
初めて蓼科高原で見た星は、いつも見ている夜空と同じはずなのに、全く別のものに感じた。
手で掴んでしまえそうだなって思ったのをはっきり覚えていたし、実際に掴む動作をしてお父さんに「よし!掴んでみな~」って面白がられた記憶がある。
星を眺めながら、お父さんとお母さんはあったかいコーヒーを飲んでいて、お兄ちゃんはカップラーメンを食べてた気がする。
自分が何か食べてたかは覚えてないけど、そういうのいいなってその時思ったし、今でもずっと憧れてる。
山頂で料理をして食べるみたいなYouTubeチャンネルがあるのだけど、時々見たくなる。
夢を叶えて高原に住んだらいつでもやれるだろう。
そのうち、感覚が超えてしまって、最初程は感動しなくなるのかもしれないが…
季節ごとに景色も変わるし、飽きる気がしない。
真夏に行ったのだけど、多分気温は20度以下だった気がする。
昼間はそんなもんで、夜はもっと冷え込んだ。
夏だけど冬用のウィンドブレーカーを持って行った。
夏にしか行ったことがないからこそ、
自分の家や、山の下の諏訪市や松本市などと涼しさを比べて、より快適だと感じたんだろうか。
冬に行ったことはないので、わからないが、
冬はすごく寒いと思う。
マイナス〜度とか当たり前だろう。
霜焼けができる気がする。
それでも暑いより寒い方が私は得意で、夏よりも冬のが好きだし、そこは着込んだりして気合いで耐えるつもりだし、霜焼けも我慢する。
お洒落なカフェや話題の美味しいものがあって、便利で買い物する場所がたくさんある都会も楽しいけれど、自然が美しい高原の方が憧れる。
長野の避暑地みたいなところに住みたい訳だけど、そういうところはとんでもなく高いだろう。
お金持ちにならないと無理だろうな。
それか、リゾートバイトできないかな、
バイトだったら、憧れのコテージみたいなのは無理だろうが、一応そこで生活できるから
綺麗な景色を眺めながらピクニックとかもできる。
あと、雪かきとか買い出しとか多分不便なんだろう。
住んでる人にしかわからないかもね。
私はもう24だし、これから仕事も辞める。
実現は難しいと思うけど。
これらの夢は捨てきれず、ずっと心の中にある。
特にきっかけがなくても、時間が空くと、ふと考えてしまう。
考えてるだけで楽しい。
現実的じゃないと割り切ってるので、そこには金銭問題や仕事どうするの?とかはいらないのである。
こういった想像をすると、明日嫌なことが待っていても少しだけ気が紛れる。
しかし時々、本気で仕事に行かずにとんでいってやろうと思う。
京都駅から蓼科高原への経路を調べてみたりすることもある。行ける時間もないくせに。
現実逃避とはこのことかもしれない。
ただ、高原で暮らすことを考えてるときは、少しだけ幸せな気分になっているし、私にとってこれからも必要な空想だと思う。