高原に住みたい
将来、高原の一軒家で暮らしたい
小さい頃からずっと変わらない。
7歳の時の初めの長野旅行が発端だろう。
長野の蓼科高原を旅行した時の感動がずっと忘れられないんだと思う。
山といえば、私の住んでる家の近くにも岩屋観音という山があった。
山頂には観音様の像があったり、ちょっと遊べるアスレチックなんかもあった。
でもまぁ、道中は階段ばかりで景色が美しいとかでは全然なかった。
当時中学生で運動部だった兄が、体力作りに登ったりしてる様な山だった。
なので、長野の山々とは比べるものではない。
タイプが違う。
美しさで勝負する山ではないんだろう。
ゆっくり歩いても、1時間内で頂上の観音様の元まで行けてしまい、時間がかからないので、山と言えるのかと今では思う。
行基が岩屋観音を訪れた際、風景に魅了され
千手観音像を刻んだのが起源で、
岩屋観音は東海道を往来する旅人たちの信仰を集めたとか。
ちゃんと立派な歴史のある山だったんだね。
初めていま調べてちょっと感動したわ。
運動や、ハイキングにはいい山だと思うけど。
当時の私にとって「山」といえば、岩屋観音しかなかった。
なので日本のアルプスは、かなり衝撃的だった。
山のてっぺんに雪が積もってるのなんて、天然水(多分サントリー)のラベルでしか見たことなかった。
そんな山々がいくつも連なっていて只々圧倒されていた。
これが本当の「山」なんだな。じゃあ岩屋観音は偽物なんじゃないか?って思えてきた。
夜になったら星がすごく大きく、はっきり見えた。
星が瞬いているのを初めて見た。
そして、流れ星も初めて見た。
流れ星ってなんというか、この世に存在しない伝説っぽいものだと思ってた。
よく友達とシール交換する時の、かわいいシールには、流れ星のデザインがあったし、
当時使っていた自由帳だの、筆箱だの、女児向けの雑貨には必ずといっていいほどカラフルな流れ星のデザインがあった。
カラフルに書かれていたからこそ、流れ星を現実にあるものだと思わなかったんだろうか。
初めて蓼科高原で見た星は、いつも見ている夜空と同じはずなのに、全く別のものに感じた。
手で掴んでしまえそうだなって思ったのをはっきり覚えていたし、実際に掴む動作をしてお父さんに「よし!掴んでみな~」って面白がられた記憶がある。
星を眺めながら、お父さんとお母さんはあったかいコーヒーを飲んでいて、お兄ちゃんはカップラーメンを食べてた気がする。
自分が何か食べてたかは覚えてないけど、そういうのいいなってその時思ったし、今でもずっと憧れてる。
山頂で料理をして食べるみたいなYouTubeチャンネルがあるのだけど、時々見たくなる。
夢を叶えて高原に住んだらいつでもやれるだろう。
そのうち、感覚が超えてしまって、最初程は感動しなくなるのかもしれないが…
季節ごとに景色も変わるし、飽きる気がしない。
真夏に行ったのだけど、多分気温は20度以下だった気がする。
昼間はそんなもんで、夜はもっと冷え込んだ。
夏だけど冬用のウィンドブレーカーを持って行った。
夏にしか行ったことがないからこそ、
自分の家や、山の下の諏訪市や松本市などと涼しさを比べて、より快適だと感じたんだろうか。
冬に行ったことはないので、わからないが、
冬はすごく寒いと思う。
マイナス〜度とか当たり前だろう。
霜焼けができる気がする。
それでも暑いより寒い方が私は得意で、夏よりも冬のが好きだし、そこは着込んだりして気合いで耐えるつもりだし、霜焼けも我慢する。
お洒落なカフェや話題の美味しいものがあって、便利で買い物する場所がたくさんある都会も楽しいけれど、自然が美しい高原の方が憧れる。
長野の避暑地みたいなところに住みたい訳だけど、そういうところはとんでもなく高いだろう。
お金持ちにならないと無理だろうな。
それか、リゾートバイトできないかな、
バイトだったら、憧れのコテージみたいなのは無理だろうが、一応そこで生活できるから
綺麗な景色を眺めながらピクニックとかもできる。
あと、雪かきとか買い出しとか多分不便なんだろう。
住んでる人にしかわからないかもね。
私はもう24だし、これから仕事も辞める。
実現は難しいと思うけど。
これらの夢は捨てきれず、ずっと心の中にある。
特にきっかけがなくても、時間が空くと、ふと考えてしまう。
考えてるだけで楽しい。
現実的じゃないと割り切ってるので、そこには金銭問題や仕事どうするの?とかはいらないのである。
こういった想像をすると、明日嫌なことが待っていても少しだけ気が紛れる。
しかし時々、本気で仕事に行かずにとんでいってやろうと思う。
京都駅から蓼科高原への経路を調べてみたりすることもある。行ける時間もないくせに。
現実逃避とはこのことかもしれない。
ただ、高原で暮らすことを考えてるときは、少しだけ幸せな気分になっているし、私にとってこれからも必要な空想だと思う。